南輝彰
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2009年1月 1日
新年明けまして、おめでとう御座います。
おかげさまで、エフアイシーも無事新年を迎えることが出来ました。クライアント様、パートナー様、弊社スタッフに厚くお礼申し上げます。
2008年9月、リーマンブラザーズの経営破綻による世界規模の極端な金融収縮は、原油の異常な高騰や、政治の混迷と相まって、日本の実体経済にも甚大な影響を与えました。とりわけ、日本を代表する企業群が収益の大幅な下方修正を余儀なくされるなど、まさに「底が見えない」状況となっています。
私達の広告業界も、マスメディアを中心に広告出稿が激減し、大手テレビ局・新聞社の経営状況の悪化が顕在化した年でもありました。
景気の後退だけが広告業界の経営環境を悪化させたのでしょうか?どうやら、原因は他にもありそうです。それは、近年の広告と報道における境界の希薄化(あるいは青菜に塩のような)による共枯れが現象化したのではないかと推察されます。
広告と報道を以下のように定義すると、
広告=広告主が媒体を買い、情報を宣伝する
報道=報道機関が媒体を通じ、報じる価値がある情報を公表する
本来、”宣伝”と”公表”は、「誰が必要とするか(しているか)」という意味において、相容れない性格を有しています。
例えば、報道バラエティなどという言葉は、広告と報道における境界の希薄化を象徴する揶揄ではないでしょうか。無論、報道といえども経済循環を無視することは出来ません。スポンサーが、視聴者・購読者のみで構成されているのであれば話は別ですが、ビジネスモデルがそうである以上、その境界が劣化することは容易に想像ができます。
では、なぜ今までその境界が劣化しなかったのか。あるいは、なぜ今その境界の劣化が指摘されるようになったのか、大きな疑問があります。
視聴者・購読者・購買者、すなわち消費者の情報に対するリテラシーが、近年、良くも悪くも大幅に向上したことと無関係ではないと思科されます。
インターネットにおいて、広告・報道・製品・サービスを問わず、その信憑性を問う”バックチャンネル”的な役割が定着した感があります。とりわけ、北京オリンピック前のチベット騒乱や、長野での聖火リレーなどに関する報道のあり方が問われ、北京オリンピックのオフィシャルスポンサーは、オリンピックを絡めた広告を、消極的に行うといった異様な事態となりました。
すなわち、広告が、相容れない性格を有しているはずの報道に常に影響されるという証左ではないでしょうか。
では、制作業に携わる私たちは、どのように広告を捉え定義すればよいのでしょうか。私は以下のように定義しました。
広告の上位概念は報道である。
この定義に基づいて、広告を再定義すると、
広告=広告主が媒体を買い、消費者にとって価値のある情報を宣伝する
ゆえに、
広告制作=価値のある情報を効果的に宣伝するため、情報を表現に変換する
私たちが、より良いクリエイティブ(表現)を考えるとき、その情報が、エンドユーザー(お客様)にとって価値のあるコンテンツ(内容)なのかを、クライアントと一体になって考えようとする姿勢が、2009年以降は、より一層問われるのではないかと感じています。
2009年、私たちエフアイシーは、”クリエイティブの中心にあるもの”を追求します!
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
2009年 元旦
南 輝彰
